お葬式だけじゃない。お坊さんの本領発揮。新型Q&Aサイト

hasunoha

以前取材いただいた方に執筆いただいた記事が書かれたブログを閉じられるということで、こちらに転載させていただくことにしました。
たくさん取材いただいて当時の思いが込められているので、迷った時の道標にしたいと思います。

〜2500年の智慧が悩みに答える〜

閉塞していく日本から美徳を掘り出すQ&Aサイトが登場した。
悩みに答えるのは、お坊さん。
お葬式だけじゃない。お坊さんの本領発揮。
2500年の真理の智慧が、日本中の悩みに優しく答える。

※ 敬称略

★ お坊さんが答える新型Q&Aサイト

インターネット上には、悩みを相談するQ&Aサイトが数多くある。

YAHOO知恵袋やOKwave、教えて!goo、読売新聞が運営する発言小町、などがそれだ。

どのサイトも一般ユーザーが悩みを投稿し、一般ユーザーか各業界のプロフェッショナルが答える形式になっているのだが、

お坊さんに悩みを相談するサイトは、これまでにはなかった。

hasunohaは、宗派を越えてお坊さんが集まり、個人の考えを交えつつ投稿者の悩みに答えるサイトだ。

お坊さんといえば、関係者でない限り葬式や法事でしか顔を会わせることがない。

葬儀の専門家のイメージが強く、時には“葬式仏教”と揶揄されることもある。

悩みに答えてくれる存在という認識はあまりない。近くて遠い存在だ。

だが、hasunohaを覗いてみると、これまでのイメージが覆される。

僧侶は、みな2500年の歴史の中で培われた智慧を駆使して答えている。

ブッダの経典を引用することもあれば、とんちを利かせて例え話をあてたり、

個人の経験談とそこから学んだ見解を交えたりと、説得力のある言葉で答えてくれる。

回答数は3,700件を越え、回答率は99%(2015年4月時点)。ほぼすべての悩みに対応している。

悩みに答えてもらったユーザーは、『いいね!』ボタンならぬ『有難し』ボタンを押して感謝の気持ちを示すことができる。

投稿される悩みの内容は幅広く、職場の上司や同僚との付き合いから不倫を止めたいというものや近親者の自殺の受け止め方、

仏教の知識についてなど、生きていく上での苦悩や質問が寄せられている。

『私たちが思っている宗教は、神や見えない何かを信じて崇める、というイメージがあるけど、

仏教はそうじゃないと思います。たとえば、仏教の考え方で悩みの根源を8つに分類した四苦八苦という言葉があります。

hasunohaの何千個ある質問と答えを見ていくと全部がその8つに分類できるんですよ。複雑そうに見えて人間の悩みは8通りしかない。

それを2500年も前に発見し、伝えてきた人はすごいなと思います。仏教は心理学や科学みたいで、だからこそ拠り所になる。

今私が付き合っている人たちは人の本質を語れる人たちだと思います』と、代表である堀下剛司の仏教への信頼は固い。

Q&Aサイトを利用した人なら分かるかもしれないが、他のサイトでは、

一般ユーザーの悩みに対して回答する側が誹謗中傷や嫌みを交えることが少なくない。

インターネット特有の匿名性や回答者と質問者の間に無意識的に上下関係が生まれやすいことからトラブルがおこるのだが、

hasunohaでは、こうしたことはおこらない。

僧侶は、時には苦言を呈することもあるが、それは投稿者を思ってのことだ。

悩み相談に必要な個人情報の取り扱いもしっかり配慮されている。

ユーザーが個人を特定されないよう登録する情報はメールアドレスとユーザー名、パスワードの3つだけだ。

詳しい個人情報は、プロフィール欄に任意で記入することになっている。

hasunohaは、お寺に足を運ぶことなく、無料で、安心して相談できるサービスなのだ。

メリットがあるのはユーザーだけではない。

回答する僧侶側にも所属する寺院の活動やイベントを紹介することが出来る。

回答数が多ければ、僧侶本来の役目を果たすと共にプロモーション活動ができる仕組みとなっている。

ユーザーは、気になる僧侶がいれば、そのままイベントと寺院の情報を知ることが可能なのだ。

こうしたユーザーと回答者のつながりを見ていくと、Q&Aサイトの顔を持ちながら、

ユーザーと僧侶のマッチングサイトとしても活用されている。

サイトを利用するほど仏教への興味が湧き、そこから社会を良くしていくという流れが出来ている。
実をいうと、hasunohaの最終的な目的はそこにある。

悩み相談を入り口にして、仏教的な教養を伝え社会を良くしていく。それは、堀下の願いでもあるのだ。

★ ネットの可能性と社会問題

hasunohaの発起人であり代表の堀下は、京都の洛南高校出身だ。

この洛南高校は真言宗の開祖・弘法大師空海が日本で初めて開いた大学で知られる綜芸種智院をルーツとしている。

学校では、空海をモチーフにしたカリキュラムが名付けられており、空海について学ぶ授業も開かれている。

だが、高校時代の堀下は仏教に興味を示すことはあまりなかった。

堀下が通っていた当時、洛南高校では週に一度だけ仏教の授業が行われていたのだが、特に仏教徒と実感する瞬間はなかったという。

仏教については、大学受験の日本史の一部として覚えている程度だった。

その後、堀下は大学を卒業し、電子手帳メーカーに企画・営業職として入社。

仏教とは距離が離れてはいたが、ITに興味を持つきっかけがそこにあった。

堀下が関わった当時は、企画を手がけている電子手帳の高機能化が進み、個人の情報をやりとりするよう、日夜改良が繰り返される時期であった。

時は、2000年。インターネットが日本に普及し始めた黎明期だった。

堀下は電子手帳の企画を考える過程で『これからの時代はインターネットの中身のサービスを抑えた企業がキーになってくる』ということに気付く。

その考えが元となりYAHOOへの転職を決めた。

YAHOOへの転職後は、Webプロデューサーとして10年以上の歳月を過した。

堀下は、インターネットの可能性に触れる一方で、振り込め詐欺や誘拐などの事件に心を傷め、

インターネットを使って取り締まる方法を考えるようになった。

だが、具体的な方法が見つからず、想いを抱えたまま数年を過ごすことになる。そして、きっかけとなる東日本大震災を迎えた。

★ 震災で発見した日本人の美徳

堀下がhasunohaの原案をひらめいたのは、2011年3月の東日本大震災直後だった。

支援を受ける被災者が先を急がず並ぶ姿や物資を分け合う様子が海外のニュースで報道されていることを知った堀下は、

そこにhasunohaへ続く手がかりを見つける。

『日本の底力と呼ばれている美徳は教育にある。

その教育は、きっと宗教の利他の精神が関わっているはずだ』と、日本人としての誇りを感じた堀下は、

インターネットで犯罪を取り締まるのではなく、美徳を掘り起こし犯罪を起こさない心を育てる方が本質だという想いにたどり着いた。

潜在的な美徳の源が、仏教にあることに気付いたのは、家族との会話からだった。

家族が仕事でお寺と関わることがあり、お寺の将来について話し合っていた時だった。

昔から連綿と受け継がれてきた日本人の美徳には、仏教の教えがあることに気付いたのだ。

堀下は、すぐにYAHOO時代から親交があるエンジニアとWebデザイナーに連絡をとった。

二人は堀下の想いに共感してくれた。こうしてチームhasunohaは、誕生した。

震災から5ヶ月、2011年8月のことだった。

★ 参加しない壁・利用しない壁

サイトの製作は地道な作業の積み重ねとなった。

メンバーはWebのプロとはいえ、それぞれに家庭があり、土日は家族と過ごす時間に割かれる。

平日の夜や休みの日の中からなんとか月に一度だけ時間を作り、その限られた時間の中で製作を進めることとなった。

ベンチャーキャピタルや有志から出資を受ければ人を雇うこともできるのだが、それはかなわなかった。

開発費は堀下自身の給与から捻出された。

資金と人的労働力の両面で不足する中、hasunohaの製作は1年以上続けられた。

その間、家族の縁で浄土宗光琳寺副住職の井上広法と知り合い、共同代表としてhasunohaに参加してもらうことになった。

だが、井上からは、回答する僧侶を集めるのは難しいことを告げられる。

『インターネット上とはいえ、文字として残る。答え方次第でトラブルに発展する恐れがある。

自分なりの考えがあっても、宗派の教義から外れることは答えづらい』実名で回答することのリスクが大きな壁となっていた。

それに加え、積極的に社会参加している僧侶はすでに別の活動で忙しく、回答する時間がとれない。

『インターネットで檀家以外の見ず知らずのユーザーに答える試みは新しいが大きな挑戦になる』と、井上から示唆を受けた。

だが『これまでの仏教伝来の歴史を顧みると、この新しい挑戦は悪くない』という言葉ももらった。

挑戦の難しさは、現実となった。

hasunohaのリリース前、Twitterでメッセージを送り回答者を募るのだが、100人に送って2人の返答率。

返ってきたメッセージは、応援はするものの参加にまでは至らない。堀下は、インターネットで答えることの壁を感じざるをえなかった。

壁は、質問を投稿するユーザー側にもあった。

堀下は、リリース前にhasunohaの概要を知人に説明し、利用したいかどうかを訊いて回るのだが、反応は芳しくなかった。

『正論を言われるだけでしょ?』という言葉が返ってきた。

現在、多く投稿されている恋愛相談にしても『俗世間から離れたお坊さんに恋愛の悩みが分かるの?』というものだった。

仏教と僧侶に対する距離感が、ユーザー側の壁になっていた。

堀下自身、壁の存在を実感していた。

『そりゃそうだなと思いました。今だから感覚が狂ってるかもしれないけど、全く何もないゼロベースの自分だったらお坊さんは人生に出てこないですからね。

一般の人もそうだと思うんですよ。お葬式の時にお経を上げるかお墓参りの時に挨拶するかくらいで、悩み相談の選択肢に出てこない』

両者の壁を消すことは難しく、hasunohaは不安を抱えたままリリースすることになる。

だが、堀下の心中は『お寺の張り紙の様に悩みがある人の心に響けばそれなりに流行るかもしれない』という期待感もあった。

リリースは、製作開始から1年3ヶ月経った2012年11月19日。

この日は共同代表である井上の誕生日でもあった。

★ 悩み投稿0・苦悩の朝の1ヶ月

hasunohaは、質問と回答、そして回答する僧侶をあらかじめ用意して始まった。

知人から集めた10個ほどの悩みと井上の誘いで参加した5人の僧侶が答えを作った。

プレスリリースや媒体を使っての宣伝が一切ない状態で始めたこともあり、hasunohaが検索に引っかかることはなかった。

リリース当初は、自分たちを含め10〜20程度のアクセス数しかない。朝目覚めて新しい投稿がないことに落ち込む日々が続いた。

リリース前に訊いた知人からの評価が頭をよぎることもあった。

肩を落とす度に堀下は、大手Q&Aサイト発言小町が、同じ悩みを抱えサイトを閉じようとした時の話を思い出し、自分の現状と重ねて励ました。

一方、回答者となる僧侶の募集も上手く進まなかった。リリース後もメッセージを送り、協力を要請してみたものの依然として反応は変わらない。

ただ、一人の僧侶が参加に応じてくれたのが幸いした。井上も積極的にSNSや仏教コミュニティに働きかけ、参加する僧侶を募った。

リリースから1ヶ月が経った頃、純粋なユーザーからの投稿が届いた。

hasunohaが社会の一部として初めて機能したのだ。回答する僧侶も井上の呼びかけで12名に増えた。

投稿数に対して僧侶の数が上回っていることも回答を早める要因になっていた。

リリースから3ヶ月が経った2013年2月には、ユーザーから嬉しい返事も届いた。

初期の回答者として参加していた川口英俊のアドバイスを実践したユーザーから『恋人にプロポーズされた』という、報告が送られてきたのだ。

hasunohaが一人の人生を大きく変えた瞬間だった。

★ 新しい伝承方法を模索して

hasunohaは、徐々に知られるようになった。2013年11月には、毎日新聞の「震災と宗教が果たした役割」の記事の中で紹介された。

その後も、ブログやネット上のニュースで記事が掲載され、その度にアクセス数を伸ばし、質問投稿数も参加僧侶も順調に増え続けた。

リリースしてからの一ヶ月の状況とは打って変わり、今やhasunohaはインターネットを使った新しい悩み相談サイトとして認知されている。

『究極の目標は、振り込め詐欺をなくしたい。

悪いことをしようという心が一瞬でも留まって、そうじゃないところに幸せがあるよね?って思える人を一人でも増やしたい。

そのために法話やインターネットだけじゃなく“命の電話“みたいにお坊さんと話しが出来るのでもいいから、

仏教的な価値観を伝えられる新しい方法を開発したいです』と、産みの親である堀下は語る。

仏教伝道の新しい試みは、hasunohaだけではない。

TV朝日の番組“ぶっちゃけ寺”や僧侶が寺院に一般客をまねいての坐禅指導など、近年活発に行われている。

日本仏教の変化の兆しを見ていくと、hasunohaの登場は、必然だったのかもしれない。

社会構造の変化と共に日本人の寿命は伸び、物質的に恵まれている一方で、終活ブームや心の病など、個人単位で自分自身と向き合う機会が増えた。

自分の心と向き合うことは仏教の根幹でもある。がむしゃらに成長し続けた今の日本だからこそ、

自己を顧みることが必要とされてきているのではないだろうか。

★ 人のためは自分のため・参加する僧侶の視点

『悩みに答える機会が多いとお坊さんとしての地力が上がる。自分自身の勉強にもなる』そう語るのは、

リリース当時からhasunohaに参加している浄土真宗の僧侶、浦上哲也だ。

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※ なごみ庵 住職 浦上哲也氏

浦上は、横浜の東白楽で“倶生山(ぐしょうさん)なごみ庵”というお寺の住職をしている。

なごみ庵は、一軒家を改築した平成18年生まれの小さなお寺だ。

浦上は、仏教の普及活動として法話の他にも自死・自殺に向き合う僧侶の会やワークショップ“死の体験旅行”など積極的に社会に働きかけている。

新しい方法で仏教を伝道していくという立場では、hasunohaと目標は同じだ。

浦上は、hasunoha共同代表の井上に誘われて参加を決めた。

もともと横浜相談ボランティア研究会で活動していることもあり、hasunohaへの参加には抵抗感がなかった。

浦上は、リリースされた当初、同じ初期メンバーである川口英俊とともに悩みに答え続けた。

回答する側の土台を作ったのは、この二人といって過言ではない。

『始めは一つの質問に答えるだけでもプレッシャーを感じることが多かった』と浦上は言う。

夜、床に入る前に緊急性を要する投稿がある時にはすぐに答えた。

二人の回答は、論理的な回答と感情を重視した回答に別れ、二つの視点から考えだされた回答は、ほど良く棲み分けが出来ていた。

浦上の回答数は280回を越え、今でも時間の許す限り回答している。

『hasunohaの利用をきっかけに仏教に関心を持ってほしい。

仏教はお葬式や法事だけの場ではなく、お墓参りの時にも本堂に来てもらえるようになってくれれば』と、浦上は話す。

僧侶がhasunohaにかける期待は大きい。浦上は、自身が力を入れている“死の体験旅行”の宣伝もhasunohaを通して行っている。

“死の体験旅行”は、ホスピスで実施されていたワークショッップで、浦上が手を加え、死の仮想体験を通して、本来の自分と向き合う仕組みになっている。

自己を見つめる仏教の教えを、別の要素と融合させてアプローチしている。

仏教界は、長老社会といわれ、若い僧侶の意志が反映されにくい環境にあるが、そうしたしがらみから抜け出し、

自由に仏教を伝えられる場としてhasunohaは恰好の発信源となっているのだ。

★ 静かな激変・薄れゆく檀家制度

『仏教は鎌倉時代に一度大きく変化したんですが、それと同じくらいの変化期が来ているのかもしれません』と、浦上は日本仏教の現状を話す。

浦上の言う、日本仏教の変革期は、“見えない檀家制度”の衰退にあらわれている。

檀家制度とは、江戸時代から始められた宗教統制政策で、平たく言うとキリスト教への改宗防止と隠れキリシタンの取り締まりのために行われた政策だ。

庶民を住んでいる地域のお寺に強制的に所属させるこの政策は、戸籍の管理や孤児の世話、

寺子屋での基礎教育など、多くの福祉事業を担わせることでも機能していた。

檀家制度は、明治初頭に撤廃され今は存在しない。福祉事業の多くは、行政が替わりに行うようになり、僧侶の仕事は、葬儀供養が多くなった。

『お坊さんと言えばお葬式』というイメージが付いたのは、この頃からだろう。先祖代々所属する寺院が定まっていることは、

定住・定職が当たり前だった昭和の終わりまで自然と続いていた。

だが、その“見えない檀家制度”も衰退しつつある。終身雇用はなくなり、転居・転職が当たり前となった現在では、

自分がどこの宗派に所属しているのかを知らない人は多い。

それに加え、人口減少と過疎化、移民の増加、といった人の動きが著しい中、“見えない檀家制度”に頼る寺院の存続は、以前よりも難しくなってきている。

そうした変化の中で、日本の仏教界は原点に戻ろうとする動きもある。

檀家制度の影響で、長らく仏教は葬儀供養のイメージが定着していたが、近年、本来の教えを伝えようという動きが活発になってきた。

これからは、日本仏教の原点回帰と一般人への普及という二つの要素が交わり伝承されるようになるだろう。

hasunohaをはじめとした仏教伝道の新たな挑戦は、始まったばかりなのだ。

参考文献

『知識ゼロからの仏教入門』 長田康幸 著 幻冬社 2006年

『池上 彰と考える、仏教って何ですか?』 池上彰 著 飛鳥新書 2012年

『はじめて知る仏教』 白取春彦 著 講談社+α新書 2005年

『池上彰の宗教がわかれば世界が見える』 池上彰 著 文春新書 2011年

『小さな心から抜け出すお坊さんの1日1分説法』 彼岸寺 著 永岡書店 2013年

『考えない練習』 小池龍之介 著 小学館文庫 2012年

『ブッダのことばースッタニパーター』 中村 元 訳 岩波書店 1984年

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