静岡県立大学学生さん卒業論文テーマ「日本における自殺抑止のための宗教の社会的役割」

hasunoha

宗教は現代社会にも役立つのか

昨年は神戸市外国語大学の学生さんが卒業論文にhasunohaを題材にしてくれましたが、今年もまた静岡県立大学の学生さんが宗教やhasunohaをテーマに卒論を書いてくれました。題名は「日本における自殺抑止のための宗教の社会的役割」。

卒論のテーマでhasunohaを取り扱ってもらうのは今回で3回目。現代社会に宗教がどう影響しているのかを知るにはhasunohaの大量のデータを分析するのが一番だと思っています。ぜひ今後も学生さんに分析論評してもらいたいと思います。情報提供にご協力します。

内容を紹介してもよいとのことなので、どんなことを研究されたのか概要の紹介します。

研究目的「現代の日本において、自殺を抑止するために、宗教がどのような役割を果たせるのかを明らかにすること」

2020年はコロナ禍において自死する人が急増したとするニュースが連日流され、hasunohaでも「死にたい」と訴える人が後を絶たない年となりました。卒論筆者の千種香歩さんも、「現代日本において自殺というトピックは考えなければならない重要な問題である。」として今回のテーマを設定されたとのことです。

考察は以下のように行われています

第1 章 『自殺論』の概論と批評
第2 章 日本における自殺と宗教の関連性と日本人の宗教性
第1 節 現代日本における自殺の傾向の検討
第2 節 日本人に残る宗教性と再聖化の議論
第3 章 宗教が関わる自殺抑止のための取り組みと課題
第1 節 「自死・自殺に向き合う僧侶の会」における取り組み
第2 節 インターネットを活用した取り組み―相談サイト「 hasunoha 」の活動
第3 節 臨床宗教師による取り組み
結論

自殺の「社会的要因」と「個人的要因」

千種さんは、19世紀のフランスの社会学者エミール・デュルケームの「自殺論」から現代にいたるまでの自殺に関する研究を分析しています。

それによると、自殺の要因として「社会的要因」と「個人的要因」が複雑に関連していると現代では考えられています。

デュルケームが考察した社会的要因で考えらえる自殺は以下のとおり

①集団本意的自殺(集団の凝集力が強すぎる社会で、支配層が死を強制する。殉死など)
②自己本位的自殺(社会統合が弱まることで集団依存がなくなり、自己自身に依拠することで起こる)
③アノミー的自殺(社会的規範がない状態。自由の獲得で欲望が膨れ上がり、それが実現できないことへの虚無感で起こる)
④宿命的自殺(社会の規制が非常に強く、 個人の欲求が抑圧されている独裁政権の国や身分制の強い封建社会に起きやすい)

「社会的要因」の他にも貧困や病苦といった「個人的要因」なども加味し今も議論がなされています。

自殺率は様々な問題が複雑に組み合わさって変動するものであり、自殺率の変化を特定の要素から導き出すことは難しいということが分かる。

個人の自殺の背景にある社会的問題や、社会の仕組みの変化など、様々な要因から自殺を考える必要がある。

自殺抑止としての宗教の存在価値の変化

かつて宗教は自殺抑止に効果を発揮していた

過去の自殺に関する研究では、自殺率と相関性があるのは宗教的統合においての集団の義集力であると言われています。

つまり、宗教的な集団内で共通の信仰や儀式が多く備わっている状態では自殺率が低かったとの統計結果があったそうです。

宗教的な通過儀礼や祭事は、意識的な部分と無意識的な部分の不具合を解消する装置であったことも影響しているという言説も引用されていました。

現代日本では伝統的な宗教は力を失ってしまった

説明されるまでもなく、今の日本では宗教離れが起こっていることは肌感として感じますよね。

千種さんも論文の中で考察をしています。

現代日本では「世俗化」によって、宗教的なものとして威力をもっていた思想や観念が、宗教色を失って、世俗的な観念に形を変えてしまっている。
個人主義の現代では、 宗教が人々の生活の中心的存在だった時代とは違い、共同体を必要としてきたこれまでの宗教はその力を発揮できなくなってきている。

日本人から宗教心はなくなってはいない。形を変えただけ

これはhasunohaを運営していても感じることですが、日本人は宗教心を忘れ去って世俗にまみれているだけではありません。仏教やお坊さんへの尊敬や耳を傾ける態度は相談者の相談、お礼を読むと明らかに存在します。

千種さんもそれが分析された論文を引用しています。

おかげ様、感謝の意識といったものは、今なお、日本人の多くに共有されていると考えられる。ここで、このような「無自覚に漠然と抱く自己を超えたものとのつながりの感覚と、先祖、神仏、世間に対して持つおかげ様の念」を「無自覚の宗教性」と呼ぶことにする。

そうなのです。

現代日本人の宗教観は、無自覚の宗教性なのです。

このことを踏まえて、宗教は形を変えて現代でも自殺抑止に効果を発揮していると千種さんは考察されています。

宗教による新しい形の自殺抑止とは

千種さんが考察の結果至った結論

かつての人々の生活を支える重要な要素であったであろう宗教の価値も希薄化した現代の日本においては、強い凝集力のある宗教的統合を再構築するという方法で、自殺抑止に繋げて考えることはできないと分かった。

 

宗教が今日の社会で果たす役割は、 多様な社会背景を考慮しつつ、その社会状況に即して柔軟に対応する姿勢で、 科学技術、医療が発展すると共に失われてきた個人と社会の連帯を取り持つところにあると考える。

強固な宗教集団を築き布教を行うことでなく、日本人の無自覚の宗教性に寄り添うこと

千種さんは、日本人の無自覚の宗教性に寄り添う手段として、「hasunoha 」の悩み相談における僧侶の取り組み、「自死・自殺に向き合う僧侶の会」の手紙相談活動、臨床宗教師による傾聴活動を事例として取り上げてくれています。

強固な宗教集団を築こうと布教や勧誘を行うことでは なく、日本人の観念の根底にある宗教性を理解し、その「聖なるもの」への気付きへと導くことである。

 

デュルケームのいう「自己本位的自殺」や「アノミー的自殺 」が発生しやすい現代の個人主義化した社会状況のなかで、孤独や葛藤を感じ、自らの価値を失うような時、宗教観・死生観・価値観の多様な可能性を理解し、自己と向き合うために救いの手をさしのべ、個人という存在に社会を共有させることが現代における宗教の役割だと考える。

「自死・自殺と向き合う僧侶の会」や「 hasunoha 」などの活動では、このような役割を実践し、成功に繋げている。行政や他の活動団体との連携を深め、社会にこの活動をより広く浸透させれば、新しい存在価値を見いだすことが可能となるだろう。

宗教が関わる自殺抑止のための取り組みと課題

千種さんは、実際に宗教者が社会問題に取り組んでいる活動について下記を取り上げ、宗教が自殺抑止という目的でどのような活動をしているのか考察されています。

自死・自殺に向き合う僧侶の会

2007年に首都圏の超宗派の僧侶が力を合わせて設立した団体。シンポジウムや講演会などの開催、リーフレットや小冊子の配布などによる啓発活動や往復書簡(手紙相談)による自死の相談を受け付けている。

手紙相談は、相談者の悩みに対して、3~4人の僧侶がチームとなって向き合い、文案を練り、手書きで清書して返信する。 2020年9月1日までに9,746 通もの手紙を受け取っており、相談者数は1510人にのぼる。

返信に関しては、仏教を基本とした苦の乗り越えかたを押しつけることなく、相談者に合わせて仏教を活用し、相談者がその道理を理解すれば仏教に関する言葉や思想、説法をす るに至る。

「希死念慮を抱く人、自死遺族への支援において、仏教の効果について実感はあるか」という質問に対しては、「大いにある。」と同会の運営者は答えている。「多くの専門機関で相談
しても生きる術を見いだせなかった人が相談をされ、ご本人から仏教への信頼を耳にすることがしばしばある。

自死防止活動を行う団体において、支援する側はその効果を確かに実感していると言える。

インターネットを活用した取り組み 相談サイト「 hasunoha 」

匿名で投稿された相談に対して僧侶が回答するサイト。2020年は新型コロナウイルスの流行を受けてアクセス数は前年の2倍以上に増えている。

希死念慮や自死に関する相談も多く見られ、「自殺した後は極楽浄土にいけるのか」など、回答者が仏教者であるからこその内容も見られる点がこのサイトの特徴である。

回答僧として協力している僧侶の参加した理由は、「お寺にいるだけではわからない世間の声を聞くため」、「お寺のような伝統的な場所もインターネット上に進出し、現代と共存していきたい」など、様々だが、インターネット上という新しい形で、宗教者としてできることをしたい、という新たな希望を感じて僧侶たちが集まるのではないかと筆者は考える。

希死念慮者に対して僧侶の回答として多くみられたのは、「死を望む人でも本当に死を望
んでいない」というような内容で、自殺に対して肯定も否定もしないが、もう一度向き直っ
てみてはというような回答がみられた。

このような回答は仏教的でなく一般的であるようにも思えるが、仏教の道理に基づく苦しみの乗り越え方を知っている仏教者から受けた言葉だと意識すると、自然と受け入れやすく、意識せずとも聖性を帯びたものとなるのではないかと筆者は考える。

このサイトが十分に利用されていることも踏まえると、今日の日本人の心にも宗教心 、あるいは少なくとも宗教的なものへの一定の期待があることは確かである。

宗教者は、自死念慮者に対し、一人一人の心に耳を傾け、寄り添うことによって、医療が発達した現代においても、異なる角度からのアプローチが可能である 。

臨床宗教師による取り組み

「臨床宗教師」は、被災地や医療機関、福祉施設などの公共空間で心のケアを提供する宗教者 である。「臨床宗教師」という言葉は、欧米のチャプレンに対応する日本語として考えられた。

臨床宗教師は東日本大震災による宗教者による被災者のボランティア活動によってはじま
り、震災後すぐに「心の相談室」 を設立し、宗教者によって電話相談と移動喫茶カフェ・デ・モンクで傾聴活動がなされていた 。

その後東北大学で講座化されたり、2018年には一般社団法人日本臨床宗教師会による「認定臨床宗教師」の資格制度が設けられるなど発展してきた。

現在の需要としては、臨床宗教師は、終末期の患者へのケアを行う者として、医療現場で
の必要性が多く論じられている。死に直面する人々のケアを目的に活動する臨床宗教師は、希死念慮者や自死遺族に対しても有効なケアが可能であると考える。

臨床宗教師の原型は、寺社教会におけるよろず相談だとすると、活動の幅を医療福祉やカフェだけでなく、様々な分野に拡大し、より多くの市民をケアすることが理想だとしており、自殺防止や遺族支援もそれらに挙げられている。

3つの取り組みの共通点

千種さんは、上記3つの取り組みをこのように分析されています。

ここまで、自殺抑止に関わる具体的活動を見てきたが、すべてに共通しているのは、特定の宗派への勧誘を行なわず、必要とされたときに宗教者としてその役割を担うという点である。

また、活動を受ける側も、宗教者としての特徴を長所として求めていることが見受けられる。

統合や規制によって成り立つ宗教は現代では力を失っているが、個人の悩みに寄り添い、個人とつながるなかで 、個人の内なる部分に宗教性に基づく共同体的な社会を築くという方向で今後の宗教はその社会的役割を果たすのではないだろうか。

千種さんの卒論では、宗教は現代でも自殺抑止に効果は認められると結論しています。しかし、宗教のあり方や求められていることが現代の個人主義と世俗化した社会では、以前とは異なっており、それに即した方法を模索し続けなければならないということです。

その具体例としてhasunohaを取り上げてもらったことは嬉しく思います。

hasunohaに死にたいと毎日のように訴えてくる相談者さんに、少なからず救いの手を差し出せているのは、「お坊さんのことばに救われました」などの多くのお礼からも感じていることです。

医療でカバーしきれない心の問題に、宗教者が今目の前で人を救っていると感じることができるhasunohaは、とてもやりがいのあるサービスであると今回の卒論で改めて認識を強めることとなりました。

 

業務委託、アルバイト、ボランティア募集
hasunohaのような人に寄り添うサービスに携わりたい、ありがとうと言ってもらえることをライフワークにしたい、温かい気持ちになれるものを世に提供したい。そのような方で、ボランティアとしてお手伝いいただける方を同時募集中です。

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