全国浄土宗青年会全国大会でお話しさせていただきました

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一般人が僧侶に求めること

少し前のことになりますが、全国浄土宗青年会全国大会で450名超の浄土宗の僧侶の方に、「一般の人はどんなことをお坊さんに求めているのか」をhasunohaから得られた3万件のデータを解析して感じたことをお話しさせていただきました。

世間の声を届けてほしい

このたびの全国大会での講演は、実は1年以上も前から依頼をいただいていたのです。事務局の方いわく、

全国大会は「安心」をテーマに青年僧侶が寺院経営を継承するたけでなく、今hasunohaで集まっている世間の悩みなどを紹介していただきながら、世間が求めている僧侶像をご教授願います。浄土宗以外の方から、むしろ一般の方から言ってもらうメリットを考えお願いした次第です。

ということで、一般人の立場から何かお伝えできることがあるかもしれないとお受けさせて頂きました。

 

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講演の内容を少し

hasunohaとは何かから、どれだけの人が集まっているかを最初に案内して、なぜhasunohaに人が集まりだしたのかを話しました。

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理由の一つとして、お坊さんから予期しない回答がくることへのギャップとそれに続く安心感があります。私も含めて一般人のお坊さんへのイメージとして、「お坊さんは抑制している人」と言う感覚があります。欲望を極限まで減らすことで煩悩を追い払うストイックなイメージ、または俗社会から離れた別世界の人。質問者もお坊さんのそんなイメージを少なからず持って相談しているのではと思います。
そこに、こんな回答がくることのギャップ、そしてその後に続くお坊さんの「性欲はあって当然。それが人です。」ということばになぜか救われた気分になってしまうのです。

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自然発生したカテゴリ

hasunohaには相談カテゴリがあります。「生き方・心構え」「自分の心・苦しみ」「恋愛・人間関係」から「身近な人の死」「お墓」「たたり・悪霊」まで。

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ここで言いたいのは、カテゴリはhasunohaがはじまったときに意図的に作られたものではないということです。はじめの頃はカテゴリもなく相談が寄せられていました。
相談が300を超えるくらいのころ、同じようなジャンルで相談をわけたほうがわかりやすいという理由でカテゴリにまとめだしたのです。

つまりカテゴリは運営が故意に誘導したものではなく、自然発生したものなのです。

現代人が僧侶に求めることを素直にまとめたものがカテゴリである。

死んだ後のことではなく、今どう生きるべきか

カテゴリごとに相談比率をまとめてみると、複雑な人間関係の中で自信をなくし、自分の存在や人生をどう位置付ければいいのかわからない現代社会の問題が浮き彫りになってきます。お墓や葬儀の相談比率は多くありません。

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「死にたい」と「死にたくない」

佐々木閑先生によると、宗教とは「死にゆく私を支えるもの」です。

私たちは日々の毎日の生活の中で、目の前のちょっとした事柄で日々を送るようにできている。これは私たちの恐らく防衛本能、自衛的な形だと思います。

自分が死ぬということを、いつもは心の底のほうに置いておいて、そして毎日はそれより上のところの日々のいろんな事柄で考えながら、言ってみれば忘れながら生きている。これはとてもありがたいことです。私たちの脳にそういう機能があるおかげで私たちは毎日健やかに生きていけます。

しかし、問題はどんなにそれを続けていても、必ず死というものは人生の上に浮かび上がってくる、次第に浮かび上がってくるということです。

若いときには下のほうにあって、何もそんなもの考えない、毎日の夢や希望でその上をずっと覆って、そして明るく暮らしていけますが、年をとって体が弱ってそして寿命が縮んでいくと、その下から少しずつ死というものが思いの中に浮かび上がってくるのです。

そうなったときにそれをもう一度健やかな人生に戻すためには、その死というものをもう忘れることはできませんから、何かで支えていかなければならない。自分自身を支えるものが必要になります。そういうときに必要なものは宗教です。

仏教は心の病院:佐々木閑先生講演より

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hasunohaにも「死ぬのが怖い」という相談が寄せられています。普段は忘れている死をふとした瞬間に思い出した時、とてつもない恐怖が全身を襲うことを誰もが一度は経験しているのではないでしょうか。そんな人生最大の恐怖を逆転する現象がhasunohaで起こっているのです。

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hasunohaで「死にたい」と検索すると多数ヒットします。日常生活で隠れているはずの死が死にたいということばになって浮き上がってきているのです。

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死の恐怖さえ超えてしまうほど生きることが苦しい、こんな苦しいならいっそ死んでしまいたいという心のメッセージです。

宗教は死の恐怖に対峙するのと同時に、「死にたい」の奥にある生きる苦しみにどう寄り添えるか。ここが求められているとhasunohaのデータが語っています。

現代はストレス社会です。hasunohaのデータを見るとその多くは人間関係によって生じていると言えるでしょう。仏教のことば四苦八苦でいうと「四苦=生老病死」より「八苦」によって苦しむ割合が大きいのが現代の特徴だと感じています。思うがままにならない日常をどう生きればよいのか。

現代社会が求めていることはここにあり、宗教家がそのヒントを提供し続けてくれているのであれば、それをつなぐ装置としてhasunohaは機能していかなければならないと考えながら運営をしています。

八苦
愛別離苦(あいべつりく) – 愛する者と別離すること
怨憎会苦(おんぞうえく) – 怨み憎んでいる者に会うこと
求不得苦(ぐふとくく) – 求める物が得られないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく) – 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと

wikipediaより

hasunoha記事

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