佐々井秀嶺師講演@五百羅漢寺-hasunohaに告ぐ

インド仏教1億人の頂点に立つ日本人僧侶-佐々井秀嶺師

そんな偉大な方が来日され、あるご縁をいただいて師の講演会をhasunohaで実施することができました。その生き様、圧倒的なにんげんの力を目の前で感じ、この世に生まれ何をもって生きるのか、そんなことを教えて頂きました。講演の概要を皆様にもぜひ共有させていただければと思います。同時に秀嶺師の活動についても調べた結果を合わせて記載しています。

80歳にして60分間立ったまま説法。その迫力、気迫、オーラ。聴衆のすべてを飲み込むような存在感。正面のお釈迦様と羅漢像に見守られながら異空間法話。hasunohaについて、インドでのご活動、アンベードカル博士の偉業、今のニッポンに思うこと、東日本大震災、そしてhasunoha菩薩道の実践とは。

*写真は五百羅漢寺様の許可をいただいて掲載しています。引用部分一部省略、聞き取り間違いの可能性がありますことご了承ください。

hasunohaの名前

佐々井師登場。登壇のご挨拶。開口一番「わしはいつも立って話す」。

蓮の会(hasunohaのこと)。良い名前ですね
蓮というのは、お釈迦様が、仏様が、菩薩様がいつもお座りになられて説法なさる。
蓮の花は汚辱の池の中生まれて、汚辱の風に染まらずに、正常な花を開いて世の為人のため尽くす菩薩道の意味がこめられている。私の思想と同じである。

佐々井秀嶺師

インドでの活動

インドで52年過ごす師にとって、日本は吹けば飛ぶような小さな国であると。

私は、ご存知の方もいるように52年間インドにおります。インドと言っても広うございまして、日本にいると感じなかったが、長年インドにいると日本は吹けば飛ぶような将棋の駒のように、本当に小さな国だなあと、その国の中ですべての宗派が入り乱れて、宗派の溝というのは深いものを感じる。宗派入り乱れ、さらに新宗教と呼ばれるいろいろな宗教もうまれている。

ひとりひとりが、私の目から見ると、縛られている。何かの宗派、何かの教団に縛られているというのが見えてくるようになりました。

インドの中心で仏教を

私のいるところはインドのど真ん中、ナグプール。街の中にここがインドの中心であるという大きな石塔が立っている。ナグプールの中心はインドの中心であります。

大乗仏教の根幹は、般若波羅蜜。それが最初に説かれたのが、私のいる南天竜宮城=ナグ(竜)プール(宮)というところであります。

ナグプールで世界的仏教遺跡の発掘

私はそこにある壮大な山脈で(仏教)遺跡を発掘しました。そこから出てきたのは、全ての遺跡に蓮華の文様がついているものでありました。

調べてみると、大乗仏教の開祖といわれる龍樹(りゅうじゅ)というインド仏教僧がおり、仏教における「空」の理論を完成させ、日本の仏教にも大きな影響を与えたとされる。その龍樹が密教経典を授かったと言われている場所が、南天鉄塔と呼ばれる伝説の遺跡であるという。インドにおける仏教の興隆を目指す師は関連する仏教遺跡の発掘を長年行われており、「歴史的発見」と言われるレベルの遺跡も発掘され、龍樹との関係性を調査されている。

龍樹菩薩からの召喚

目の前に龍樹菩薩が現れまして、みなさまそれは夢だといいますが、いくらいくら打ち消してもけして夢ではない。あれは龍樹だった。龍樹菩薩からの使命を受けて、お前南天竜宮城へ行けと。

われは龍樹なり。汝すみやかに南天竜宮城にいけ。南天竜宮城はわが法城なり。わが法城は汝が法城。

という大召喚を受けまして、インドで永遠に土にならなければいかんという運命、南天竜宮城に道を求めて行ったのであります。

そのとき師は東京八王子の真言宗のお寺からインドに留学されていたようで、日本に戻るよういわれていたが、破門されていいから私は龍樹の言葉に従いますとインドに残られた。

それより龍樹の法城が地下に眠っている・・それを掘り起こさなければ。

佐々井秀嶺

アンベードカル博士の偉業と遺志を引き継ぎ

師は、ナグプールにいき、そこでかつてカースト制度の最下層「不可触民」の出身ながらインド初代法務大臣になり、インド憲法を草案しカースト制度を撤廃した偉大な人物、故アンベードカル博士の存在と、いまだに身分差別に苦しむ人々の現状を目の当たりにする。

インド憲法起草の父。インド仏教復興の王。アンベードカル。インドで、ブッダガヤ、サールナートなどの仏跡をたくさん歩いたが、アンベードカルの名を聞いたことがない。なぜガンジーさんのように全世界に広まらなかったのか、それがインドに生きているうちにわかってきた。

インドにはカーストがある。バラモン(僧)・クシャトリア(貴族)・ヴァイシャ(庶民)・シュードラ(奴隷)。シュードラはまだカーストの恩恵を受けられる人間。

シュードラは職業の自由がなく、人の嫌がる仕事にしか就けない。

アウトカーストと呼ばれる層がある。ゴミのゴミ。穢れの穢れ。シュードラのシュードラ。

彼らを見るだけで自分の目が穢れると言われた。最低の層。アンベードカルはアウトカーストとして生まれた

アンベードカル博士は、ものすごい極貧の中から、テントのない太陽と月の光の下で勉強に勉強をかさね、ある学校の教師に見いだされ教育の機会を得る。

しかし学校では教育の機会はもらえても差別はなくならない。穢れるという理由で言葉を話させてもらえない。床に座り、水ももらえない。泊まるところもない。

我々の種族(不可触民)はこうだ。こういう人たちを助けるのが自分の宿命であると、自分ひとりで勉強を続け差別と闘うことを誓う。

アウトカーストへの差別はなくならない。不可触民。文字通り「触ることができない民」と凄惨な差別を受け、人間の尊厳すら剥奪され貧困にあえぐ人々。インドにはそんな人々が2億人いるという。

ロンドンで弁護士資格を取得した後、不可触民排除運動を展開し指導的立場を担うようになっていく。

インド独立時には憲法草案委員会の議長となり、心血こめた起草案が採用され、ついにカースト廃止を謳った憲法が公布される。

しかし、古くからのしきたりは根深く直らない。博士はカーストの根底をなすヒンズー教からの改宗を決意し、万人の平等を説く仏教を選択。同時に数十万人の不可触民が仏教への集団改宗を行った。

博士の死後、その活動地ナグプールで偉大な功績をみた秀嶺師は、博士の遺志をついで仏教復興事業を展開はじめる。

仏教が復興してきている。ここにきたとき(仏教の)お坊さんが1人もいない。私はタイに2,3年いてパーリー語を学んだから、パーリー語で経典を作ってみんなに配った。パーリー語で唱えてるうちに私ひとりだったのが、5000人、8000人と増えていった。

不可触民と呼ばれる人々と寝食をともにしながら仏教布教を行ううちに、秀嶺師はいつしか博士の後継者として認識されるようになっていく。

(一連の仏教復興活動に)「全インド法兵軍」という名をつけた。まだまだある差別に戦う仏教である。

ブッダガヤの大菩提寺奪還運動も20年全民衆の先頭にたってやっています。

インドの夜明けの時期に尽くさせて頂いた。私も80歳になり若い時の記憶は忘れていることもあるが、まだまだ頑張らなけばならないと肝に銘じております。

秀嶺師のもとに人々が集まり、仏教徒への改宗が加速するにつれ、その影響力は増していく。

やがて、ヒンズー教徒が8割を占めるインド社会で敵対視され、不法滞在の罪で逮捕されてしまう。

そのとき、不法逮捕反対としてデモと署名活動が沸き起こる。署名は60万人。ついに政府からインド国籍取得の許可がおりた。民衆の勝利だった。

インドは今や、アンベードカルの憲法発布によって、仏教(の影響力)が上がってきて、権力や財政はまだ保守的な層に握られているが、人権への闘争、生命尊重の闘争、仏教再興への闘争では、仏教徒は負けてはいません。

ジャイ・ビーム!(アンベードカル万歳。インド仏教徒の合言葉)

その後、秀嶺師はインド政府少数者委員会(マイノリティ・コミッション) に、1億人の仏教徒の代表として任命され、副大臣に相当する権限を与えられ、首相にも直接会えるまでになった。

日本人僧侶がインド仏教1億人の頂点に立ったのである。

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今のニッポンに思うこと

以前、日本の雑誌記者のインタビューを受けた。「我インドの大地に仏法を極めん。日本は亡国の兆あり」という私の言葉が取り上げられていた。

(今回帰国して)この1ヶ月、日本で何を見たか。やはり亡国の兆です。昨日まで、私は震災の起こったところをまわっていた。津波ですべてを失ったところをご祈祷して回った。

原発の地もまわった。南相馬にお坊さんがいた。このお坊さんが偉い。一緒にまわった。田中徳雲さん。

見て回らないとわからない。ただ説法してもわからない。見てこなければならない。

そこで未だに復興ままならない人たちを見る

私は何をしていいかわかりません。活きる気持ちもない。小さな貸宿に生きている。

私は毎日きて見ている。自分の家があった荒れたところを。どこまで復興してくれるのか。復興してくださることを毎日見つめているんです。心を打たれました。

もうひとりは学校の先生で、(出張で)家を出ているときに津波がきて、帰ったら家がない。妻がいない。8日間探し続けた。ある大きな木の下に自分の家の屋根を見つけた。まだ水が引いてなかったのではないか。私の家の屋根だと、なんとか下に潜ったら、妻がその中に静かに眠っていた。その妻を抱きしめた。すいませんでした。私が出張してあなたをこんなにしてしまいました。抱きしめたまま菩提寺に連れて行った。しかし、その菩提寺も津波で流されていた。

そういう話をきいているうちに、日本の仏教界は原発は反対であるとおっしゃいましたが、果たして団結しているのだろうか。こういう状況に安閑としておられるのだろうか。仏教界が団結しようと呼びかけたいところであります。

日本は亡国の兆あり。

hasunohaに告ぐ

どうかみなさん、わかい身の上相談ができるhasunohaのような立派な坊さん連中は、それくらいの問題で、hasunohaを持していこうとは思っていないと思います。何か、日本を助けなければならない。日本の大地を。

田舎は過疎で人がいない。残ってるのは、おじいちゃんおばあちゃん。この前60歳のおばあちゃんが畑仕事している。このおばあちゃんは、どうして隠居しないのかな?

私がいなければ、畑を守る人がいないんです・・

お寺も、山の中にあるお寺、全部無住(無住職)。民衆もいなければお寺も無住。そんな状態がどんどん増えている。

日本は亡国の兆あり。

蓮の会(hasunohaのこと)は、何をすべきか。身の上相談も大事であるが、われわれ蓮の会はニッポンをたすけるんだ。というような熱血漢。熱血僧。そういう情熱のお坊さんが1人、2人、3人、4人と蓮の葉が開くように、仏様の台座が開いて、その上に仏様がお座りになって説法をなさる。そういう会になればと願っています。

この強烈な人生に触れたとき、その方の口から「hasunoha」という言葉を生で聞いた瞬間、聞きながら涙が流れた。インド仏教最高指導者がその人生の重みをぶつけて、hasunohaと言ってくれたのだ。

講演を終えて

秀嶺師が講演を終えて帰られるとき、感銘をうけた私は是非最後に握手をしていただきたいと師に駆け寄った。インドで50年、仏教復興に命をかけた熱血漢の手。さぞかし、硬く、大きく、ごつごつした手なんだろうと・・

最後に笑顔で握手をしてもらった手は、意外にも小さく、花びらを触るようにやわらかだった。それはまるで、蓮の葉に咲く蓮の花を両手で包み込むような、暖かくて優しい握手だった。

佐々井秀嶺

参考文献

男一代菩薩道―インド仏教の頂点に立つ日本人、佐々井秀嶺

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