同性愛・性同一性と仏教
このたび、hasunohaの相談者プロフィールの性別欄を「女性/男性」の2択から、「女性/男性/その他/無回答」の4択にしました。
hasunohaには、以前から同性愛、性同一性の相談がありました。世界的に見ると性別を男女だけに区別せず、多様性を認めましょうという動きが活発になっています。一方で、検索してみると世界には宗教的に同性愛を禁じている場合もあることがわかります。
hasunohaに寄せられる相談と、それに対するお坊さんからの回答をもとにhasunohaの仕様を変更することにしました。
仏教では同性愛についてどう考えるのでしょうか
hasunohaリリース初期にある質問がきました。「仏教では同性愛についてどう考えるのでしょうか」
私は、今とても好きな人がいるのですがその人は同性の女性です。仏教では同性愛についてはどのような考え方をするのでしょうか。
これに対する個々のお坊さんの回答をみると、
・仏教の公式見解として「同性愛についてはこういう見解である」というものはない
としながらも、仏教の戒律の中の「不邪淫戒」からお坊さんの見解を述べられています。
「道はずれな情欲、情愛の思いをおこすべきではない」
ここでいう道はずれな情欲を、「我欲」とこのお坊さんは呼んでいます。
あなたが「愛している」からと言って、愛するあなたの相手は「喜ばしい」かどうかを問うべきです。
他のお坊さんは、「不邪淫戒」について私見で下記を示しています。
僧侶・出家者で無い者においては、「不邪淫戒」として、淫らで邪な愛欲に支配されてしまっているのではなく、特に相手や他の人への迷惑にならないのであれば、同性愛であっても問題は無いのではないかとは存じます。
ここに、愛の形に是非を問うのではなく、その行い(我欲にならない)を問うべきであるという教えがみてとれます。
ゲイ(同性愛)・バイセクシャルを仏教は否定しますか?
もう一つの相談をご紹介します。「ゲイ(同性愛)・バイセクシャルを仏教は否定しますか?」
ごく「普通」のゲイの友人がいます。社会的に他人に迷惑をかけず一市民としてのルールを守り社会的責任を果たしている以上、そのひとの人格もなにも見ずにただゲイだからという理由で否定されることには疑問を感じています。日本の社会ではまだまだ偏見も強いと聞いたのですが、仏教界ではどうなのでしょうか。
こちらに対して、あるお坊さんは浄土真宗の考えから回答されています。
在家者に対しては邪淫を戒めていますが、邪淫とは浮気のことであり、同性愛に関しては全く問題としていません。
自分と違う感性を持っている人の感性を理解することは難しいです。映画や芸術、音楽や恋愛等、自分はこれがいいと思っているのであればそれでいいのかなと思います。しかし、それを他人にも押し付けるのであれば問題だろうと思います。
別のお坊さんからは下記の回答がありました。
今や宗教よりも人権を尊重すべき時代です。どんな宗教であれ宗教的価値観のために人の命が軽んじられ、時に奪われてしまうことなどはあってはならないこと、宗教性を欠いている特殊な思想であると思っています。
仏教では〇〇な立場だから✖というより、〇〇な行いをすることが✖という姿勢です。人間の本質は行いだからです。
否定はまず、人権的にもあり得ません。そうして生まれてこられたのですから❝本有❞のものです。
*本有(仏教用語:本来的な存在。初めから有ること。)
こちらの問答からも、お坊さんは、「立場」ではなく、「行い(善行)」を重視しています。
性同一性障害で悩んだお坊さんのことば
hasunohaには、性同一性障害で悩まれ僧籍を男性から女性にされた柴谷宗叔さん、新宿2丁目のゲイバーでマスターをされていた本多清寛さんというお坊さんがいます。そのお坊さん方のことばを見てみましょう。
私はバイセクシャルだと明確になり、勘も鋭くなってきた様に感じるので、これからにあたり良い心構え、智慧をいただきたいです。そして、どちらの性の方とお付き合いすれば良いのか悩んでおります。
元の質問:バイセクシャルであり勘が強い、良い心構え、智慧はありますか
柴谷宗叔さんからのことばです。
無理しないでいいですよ。あなたの気持ちに従って。
気持ちが合えばどちらともできる、それも国籍・人種を問わず、素晴らしいことです。誰とでも仲良くできる自分の個性に自信を持ちましょう。そのうえで、自分はほんとはどちらなのかということを見つめてみましょう。
本多清寛さんからのことば
私は今、ひょんなことから新宿二丁目で坊主バーをさせて頂いています。来て下さる方々は、セクシャリティはもちろん、業種や出身、生い立ちも様々な方がおられます。
そこで学んだことは、どんなセクシャリティであろうが、自分に目を向けて生きていくことが救いになるということです。他人と自分、あるいは他人と他人を比較して悩みを解決しようとしても、泥沼にはまってしまうことがあります。けれど、比較をやめて、自分が何を感じているのかに目を向けると、勝手に解決してしまうことが多いんです。
性別をどう表記するか
hasunohaで、性別表記を検討するきっかけとなったのは、ある回答僧の方のメッセージ。
http://hasunoha.jp/questions/16110で回答しているとき、やはりこの時が来たかと思いました。質問者の性別が男性、女性しかないことは疑問です。これからいわゆるマイノリティーの方々からも質問が増えてくると思いますので、もう性別を2種類だけにするのは失礼ではないでしょうか?
この意見をいただいたのが2017年。LGBTに対するお坊さん方の仏教をもとにした真摯な見解が素晴らしいと感じていたので、性別表記を変更するのは賛成でした。
海外では第3の性を選択肢にする動きが積極的です。
- Facebookの性別欄は58種類!
- ドイツ、オーストラリア、ニュージーランド、バングラデシュ、インド、ネパール、パキスタンの7カ国では、パスポートの性別欄で「第3の性」を選択することができる。
- カナダでも公的書類に第3の性の選択肢「X」容認へ
表記の仕方はそれぞれです。
Facebookでは58種類を細かく分類しているのに対し、パスポートや公的書類では処理や統計の問題から3つの表記に絞っているのではと思います。
各国の性別表記
オーストラリア :M(男性)、F(女性)、X(Xジェンダー)
ニュージーランド:M(男性)、F(女性)、Gender Diverse(性別の多様性)
ネパール :M(男性)、F(女性)、O(Other=その他)
一方、日本では動きはあっても個別企業やサービスの対応にとどまっており、男女以外の性の定義も明確ではありません。そのため、配慮したほうがいいのかもしれないが、センシティブな内容だけにどう配慮すべきか悩み、踏み込めずにいるサービス運営者は多いのではないでしょうか。
配慮のつもりが、当事者は困惑。「男・女・LGBT」の問診票は何がいけなかった?
性別を記入する欄が(男・女・LGBT)となっているこちらの問診票。
Twitterでは、LGBT当事者を中心に、「『その他』にすればいいのでは」「勘違い」「全てに丸がつけられる」と、戸惑いや呆れる声があがりました。【BuzzFeed Japan / 森駿介】
性別表記をなくすのは妥当か
主要なSNSの性別欄がどうなっているのかを調査した記事がありました。「SNSの性別欄がどうなっているのか調べてみた」
この記事によると、Facebookのように細かく定義できるものから、Instagramのように指定せずとも利用できるもの、LinkedInのように性別欄がないもの、Mixiのように男・女の性別を選ぶものがあります。
広告の面で考えると性別を取得したほうがよいのですが、そこはサービスの趣旨や思いを反映させていくことを重ねて考える必要があります。
hasunohaの場合は、あえて4種類にして選択してもらうようにしました。子育て、恋愛、性、浮気など男女によって違いが出ると思われる相談は、性別表記をしてもらったほうがより良い問答が提供できると考えるためです。
hasunohaの性別表記
Facebookのように細かく分類したかったのですが、定義が難しく今の日本で網羅するために「その他」を採用しました。「その他」で一括りにしないで欲しいという意見もあると思います。「その他」にしっくりこない場合や、性別によって差がないと思われる相談に「無回答」も選択できるようにしました。
今後、日本でも定義ができてくると考えています。それに応じてより相応しい性別表記を採用していきたいとの思いでいます。
これを機に、LGBTのカテゴリも新設しました。こちらも見ていただければと思います。
本件は、withnewsさんにも取材いただきました。
「その他、だけでいいの?」性別欄に1年半費やしたサイトの答え
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