<追悼>偉大なる宗教家太田宏人さん逝く

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2018年5月15日 偉大なる宗教家太田宏人さん逝く

太田宏人さんという真の宗教家が亡くなりました。

東日本大震災や熊本地震の後、家もなく家族もなくなった人々に向き合うため、震災後100回も毎月現地に赴き傾聴し苦しむ人々を救った宗教者です。

病の中、最後まで志を貫き通した太田さんの生きざま、死にざまに宗教家として、人間として感銘を受け、多くのことを学ばせていただきました。

ここに太田さんの偉大なる功績を思いながら、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

復興はこれからも続く

2017年9月18日。東日本大震災で被災した宮城県牡鹿郡女川町を訪れました。KTSK = 傾聴に取り組む僧侶の会の太田さんに傾聴ボランティアに参加しませんかと以前から誘いを受け、ようやく都合がつき参加させていただきました。女川町も震災で甚大な被害のあった町であり、当時の映像に改めて津波の恐怖を感じるとともに、お亡くなりになられた方へのご冥福をお祈りします。

震災がきっかけとなったhasunoha

震災から人々が助け合い、力強く復興する姿を見たことが誕生のきっかけとなったhasunohaにとってこの場所は立ち返らないといけないところであり、6年目の現状を今見れたことは気持ちに新たにする機会となりました。

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傾聴に取り組む僧侶の会

hasunohaでいただいた力を震災復興に少しでも返ししたいと、今年のはじめにKTSKに寄付をさせていただきました。hasunohaで世の中に救いをくれる僧侶の方への感謝と復興への支援として、ハードへの支援よりも、被害にあわれた人々に寄り添うソフト面での支援活動をされている僧侶の方の力になりたいと思ったのです。そのときに、代表の僧侶・太田さんより「現地に一緒に行きませんか」とお誘いを受けました。
KTSKは震災後定期的に現地に赴き、被災された方の話を聞き、寄り添い、時にはお経をあげて慰霊活動もされているボランティア団体で震災後6年を経た今でも活動を続けています。なんと私の参加した回で89回目です。震災がどんどん風化していく中変わらず活動を続ける姿に尊敬を抱かずにはおれません。

 

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女川の街

女川町は震災後新しい駅がたち力強く復興している姿を見せてくれます。しかし、海の堤防前はまだまだ造成中。6年経った今でもまだこの状態であることに目を向けなければならないと感じます。

 

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そのあと海岸沿いから山のほうへ車であがっていきます。ところどころに集合住宅のようなものがあり、「ここが仮設住宅ですよ」とお坊さんに教えてもらいます。

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震災から6年経ち、仮設住宅で暮らしていた方の多くは集合住宅に移ったり、自立再建をされていったようです。しかし、それでもまだ仮設住宅で暮らしている方がおられ、高齢の方がおひとりでいる場合もあります。両隣や前の人もいなくなり、夜は真っ暗で怖いとおっしゃる言葉が胸に刺さります。

今回は、こちらの仮設住宅の方から1軒ずつノックをしながらお話をきいていく活動に同行させていただきました。

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傾聴ボランティア

こちらの仮説住宅を含めて午前と午後にわけて、ほかの集合住宅などにも訪問をしました。今回の活動は「傾聴ボランティア」ということなのですが、震災で大切な人や家を失い、今なお仮設住宅で暮らす方々に、自分がいったんどんな話をできるのかまったくわかりませんでした。

事前に、「傾聴の手引き」をもらい注意点などを読んでいたのですが、そこに書いてあるようなことを自分に果たしてできるのだろうかと、かえって皆さんの心を傷つけてしまうのではないかと思いながら今日を迎えていました。結局何をしていいのかもわからず、ここまで到着しました。
午前中は太田さんの後ろについて一緒に回らせていただきました。太田さんはお線香を配りながら、「お久しぶりです」という感じでお話をされ、世間話をされていきました。太田さんがお話を聞き、頷き、相槌をうってしていると、みなさん心配ごとや、最近の街の様子を詳しく教えてくださいました。
それを見て、ふっと力が抜けたと同時に、ここまでの関係をつくられた太田さんのご苦労を思います。
こんな風には絶対話せないと思いながらも、「なるようにしかならないですから、ご自身のやり方でやってみてください」ということばをいただき、午後からは一人でお線香を配りました。

午後は住宅の一軒ずつドアホンを押して、「お線香をお配りしています」と声をかけていきました。30代40代の若い方もおられ、仏壇がないからいらないですという方もいて、ありがとうございますと受け取ってくださる方もいました。

おばあさんの言葉

何人かの方にお線香を配ったのですが、そこから少し立ち話でもできた方は3名でした。とても傾聴といえるものではありませんでした。終わってみた感想は、「何か話さなければ、お線香を受け取ってもらわなければ」というようなことに囚われすぎて、相手の方にまったく向き合っていなかったなということでした。それにようやく気付き始めたとき終わりの時間がきてしまいました。

そんな中、午前中に太田さんと一緒にお話をきいたおばあさんのお話が印象的でした。

その方は震災でご主人をなくされ、仮設住宅でひとりで暮らされています。そこももうすぐ取り壊して、次のところに移らなければならないとのことです。
高齢で荷物を一人で運ぶこともできない、また知らない人と一緒に暮らさなければならない、今度のところは個室ドアになっているので体が動かなくなって部屋に取り残されたとき助けを呼べないなどをとても心配されていました。

おばあさんの要望するような施設には移してもらえないのですか?と聞いてみても、私はまだ要介護度が高くないから、もっと困っている人から優先なのよと言われていました。本当に辛くて悲しい現実を目の当たりにして、悲痛な思いで何も声をかけられませんでした。

太田さんは、そんなおばあさんの一つ一つの言葉を黙って頷いて聞いていました。

そうやって話していくと、おばあさんが「いろいろあるけど震災でもこうして生かせてもらってとても有難いよ。ここの施設の人もとてもよくしてくれて私は今が一番幸せです。」と言われたのです。そして、娘さんや孫のお話もしてくれました。

こんな泥沼の中でも一輪の花を見つけて幸せですと言えるおばあさんに、仏教でいうところの菩薩を見せていただきました。
お話を聞きに来た私が逆に勇気と元気をもらったのです。自分の生活がどんなに恵まれているのに、幸せを感じられない心になっていたのだろうとおばあさんに教えてもらいました。

そして太田さんが、「おばあさん、そろそろおじいちゃんにお経をあげようか?」と話して、みんなで般若心経を唱えました。
そのときに手を合わせて祈るおばあさんの横顔がとても穏やかだったことを、この先もずっと忘れないでおこうと思いました。

お坊さんの唱えるお経ってすごいんだと頭でなく体で感じました。
まさに宗教者とはこういうことだと、太田さんから教えてもらいました。

今回の傾聴ボランティアは、結局自分が傾聴されたような、そんな気もするものでした。

KTSK = 傾聴に取り組む僧侶の会

hasunoha記事

コメント

  1. より:

    いつもありがとうございます。
    ハスノハも楽しく閲覧しております。
    できる限りで支援させていただきたいです。
    『おきもち』機能ですが、クレジットカードはJCBしか持っておらず、JCBも対応していただけると、ありがたしでございます。

    コメント欄からで恐縮ですが、JCB勢にも喜捨の機会を…よろしくご検討くださいませ。

  2. 洞林寺 吉田俊英 より:

     KTSKへhasunohaから寄付をするという記事を以前拝見させていただきましたが、やはり太田氏と親交があったのですね。私も13年ぐらい前から海外移住関係でつきあいがありました。
    https://blogs.yahoo.co.jp/dorinji/13097751.html

     ペルーの新聞社がつぶれたから、日本に戻ってきてライター稼業に就いたそうです。『知られざる日本人』や『110年のアルバムー日本人ペルー110周年記念誌ー』は太田氏のジャーナリストとして活動の成果の一端です。季刊「SOGI」や「仏教タイムス」でへの原稿、葬儀社でのアルバイト等を通して僧侶とは違う視点から葬儀と言う臨床の現場を取材執筆して来られたようです。彼は優れた臨床宗教ライターだったと思います。
     「僧侶になった。」という報告を彼から受けましたが、それ以降会う機会がなかったので僧侶としての彼の活動を実際には見ておりません。昨日、女川の三宅大哲師に会った際に、太田氏への香典を託しました。

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