功徳の国ミャンマーへ。伝説の仏教文明バガンを見た

海外仏教旅行記

功徳が行き渡る社会・ミャンマーとは

お釈迦様が悟りを開いたインドブダガヤの次は、以前から行きたかったミャンマーを訪れました。以前のブログで、功徳を通じ富が人々の間に巡らされ、幸せを分かち合う社会システムがミャンマーのバガン文明にあったと書きました。
ミャンマーに行ったことのある誰にきいても「ミャンマーは最高に素晴らしい」と言われる仏教国。この地で、幸せの社会システムのあり方を実際に感じてみたかったのです。

首都ヤンゴン郊外の村で托鉢のお坊さんに布施を

村の生活

最初にやってきたのは、首都ヤンゴン郊外にあるチャイクテール村(Kyaikthal)。ここに、「コミュニティー・ベース・ツーリズム(CBT)」と呼ばれる官民一体の観光プロジェクトがあります。旅人にとっては、村に住む人々の生活様式や文化の交流ができ、村人にとっては観光収入による生活支援を得られるというものです。周辺の学校や僧院の見学もでき、観光だけでは得られないミャンマーの姿を感じることができます。

お坊さんの托鉢

翌朝、近くの僧院のお坊さんが托鉢に出られるということで、そのお坊さんに食事を提供する村の人たちのお手伝いをさせてもらいました。毎朝同じように村人が食事を提供して、お坊さんが日常に溶け込んでいることを感じます。ミャンマーでは、僧侶は人々からとても尊敬されています。僧侶は頭を完全に剃って、質素な袈裟を着て、裸足で托鉢にでます。そのお坊さんに自分のもっているものを施すことで、徳を積むという考えがあるのです。

小学校で仏教的価値を学ぶ

続いて、地元の小学校を見学しました。この学校は、日本のロータリークラブからの寄付で建てられたと校長先生から伺いました。現在も主に地元の方などの寄付で運営がされています。朝の9時からはじまる学校で、まずは全校生徒集まってお経を唱えます。ミャンマーのお経は抑揚がありメロディがあり、歌を歌っているようにも聞こえます。これを30分も続けて唱えるのですが、子供たちは座って手を合わせたまま。しかも完全に暗記しているようです。
お経の言葉に含まれる、善悪や道理が自然に身について、悪行をせず善行を行う土台がここでできているのだと感じます。
ここの人々は、貧しいけれど、おだやかで、優しい表情をしています。成績や数字より、人生においてもっと大切なことがあると子供たちから教えてもらいました。

寄付で運営されるヤンゴンの僧侶専用の病院へ

そのあと、ヤンゴンに戻り僧侶専用の病院を見学しました。JIVITADANA SANGHA HOSPITALという病院は僧侶であれば治療、手術、入院もすべて無料で受けられます。僧侶は生産をしないので収入がありません。そのため病気や怪我をしても治療を受けられるようにと、ボランティアで運営されているのです。100人を超える医者もボランティア、看護師もボランティアに近い形で働いています。
病院長に聞いたところ、病院の設立も運営もすべて寄付でされているとのこと。いったい誰がなぜこんなに寄付をするのでしょうか。個人を中心に富裕層の人が多額の寄付をしているそうです。
「人というのは、お金が儲かったら、家を買ったり外車を買ったりしたくなるじゃないですか。そういうことはしないのですか?」と質問しました。「ミャンマーでは、現世を幸せに生きられるのは前世の善行によるもの。だから今、徳を積むことで来世も幸せに生きられると信じられているのです。」という答えが返ってきました。

功徳が循環する社会

ミャンマーでは、僧侶と一般人との絆と信頼関係が強く築かれていました。僧侶は自分を律し、世の人のために祈り、法を説く。一般人はそれに感謝し施しを行うことで徳を積み、来世も幸せに生きると信じる。そんな循環社会が成り立っているのです。

近くの僧院でも、興味深い話を聞きました。ちょうど結婚式を挙げる場所があり、ミャンマーでもウェディングドレスを着るのですかという問いに、「豪華なウェディングドレスを着る人はあまりいない。自分を着飾ることにお金を使うくらいなら、僧侶や寺院に寄付をして徳を積んだ方が、幸せな結婚生活が送れると考えられている。」との答えが。

hasunohaにも夫婦の問題が多く相談されています。ウェディングドレスは一つの事象なので、それを着るなとは全く思いませんが、見習うべきは「徳を積む」という考えと行為によって、自分を卑下したり相手を不幸にする言動が少なくなり、心優しい(=苦しみの少ない)夫婦関係が成り立ちやすいのではないかということです。

バガン遺跡へ

バガンは、世界3大仏教遺跡の一つであり、ミャンマーの仏教聖地でもあります。
ここには、2,000以上ものパゴダ(仏塔)がそびえ立っています。

バガンの素晴らしさはNHKスペシャルが伝えてくれています

パゴダは、王族が奴隷を使って無理やり立てたのではなく。一般の人の寄進によってたてられた。富を得たものはそれを蓄積して抱え込むのではなく、人々が祈りを捧げられる仏塔たてることで富が社会に再分配される。徳を積むことで来世に幸せをもたらすと。

仏教的な幸せなありかたとして注目していたバガンをようやくこの目で見ることができました。

それぞれのパゴダには仏像と祈りの場があり、来世の幸せを祈った人々の思いが伝わってくるようです。

ミャンマーから学ぶこと

ミャンマーにも大きな問題は確かにある。しかし、そこに暮らす人々の表情は穏やかで、優しい雰囲気に包まれる。
すぐ隣の国、インドと比べるとインドには申し訳ないが、物売りが穏やか。笑
絵葉書やブレスレッドを売ってくる物売りはミャンマーにももちろんいる。しかし、インドに比べてとてもやさしくて謙虚。いらん!といってもトコトンついてくるインドと比べると、すぐ諦めてくれる。もう少し営業したほうがいいんじゃない?ってこちらが思うほど優しいので、逆に買ってあげたくなる。

お金持ち、富を蓄積したものが称賛されるのではなく、それを世のために分配したものが尊敬されるという社会のあり方を作れるのではないか。ミャンマーに目を向けると、人間が幸福になる社会システムのヒントをもらえるのです。


hasunoha記事

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