昨今の”ITx 仏教”事情
hasunohaは最近、Amazonの「お坊さん便」などお葬式での読経をしてもらうための僧侶派遣サービスと比較されることが多くなってきました。どちらもインターネットを介して、お坊さんと出会う新しいサービスであると。
しかし、その中身が対照的だとも言われています。
ドライに“儀式装置”としての仏教を注文できてしまえるのが僧侶派遣サービスの強みです。それに対して、僧侶相談サービスの「hasunoha」は仏教を通した悩み相談という、宗教のウェットな面にスポットを当てています。
Amazonに「お坊さん便」というサービスが出品され話題となったのは記憶に新しい。これは自宅や墓地で法事(法要)を行う際に、お坊さんを派遣して読経や法話をしてもらえるというもの・・・「hasunoha」は登録しているお坊さんたちが人生相談にのってくれるサイトで・・・本来、寺院は葬式や法事だけの場ではなく、困りごとがあればお坊さんが相談にのってくれる場であったということを考えれば、この「hasunoha」はITの力を借りつつ原点回帰をしているようにも思える。
ネットで善意のモデルは作れるのか
hasunohaはインターネット上でお坊さんに悩み相談できるサイトですが、相談は無料でできます。お坊さんの回答も費用が発生していません。
つまり、お坊さんは一銭もお金を受けることなく質問者さんに寄り添う回答をされています。大変有り難く、尊く、回答いただく方に常に感謝をしています。
それは質問者さんにも伝わっていて、質問者さんからのお礼の多くはお坊さんへの感謝の言葉で溢れています。さらに、直筆の感謝のお手紙をお寺に送られたり、電話や直接お寺に出向いてお礼を伝えていただく質問者の方も増えてきたこともお坊さんより伺っています。
そんな、質問者と回答者のつながりによって生まれる「善意のモデル」が、顔も見えないインターネットを介して実施されていることに驚きとともに、ニッポンにはまだまだ明るい未来が残されているという手ごたえを感じています。
hasunohaで質問された方からお手紙とお布施が
先日、ある回答僧の方より、「質問者さんよりお手紙とお布施をいただきました」という連絡をいただきました。質問者さんが長年心にしまっていたある思いを相談され、その回答のお礼としてお手紙をいただいたのです。
そこには、お坊さんのお言葉にとても救われたこと。貴重な時間を使って回答頂いたこと、優しい言葉にこれからの過ごし方の示唆をいただけたことへのお礼とともに、お布施としてお金がはいっていました。
このお話を受けたときに、これは革命的なことがついに起こりだしているのではないかと衝撃が走りました。
世の中、サービスを受けるのに対価を払うのは当たり前、対価を払わないと商品もサービスも買えない。昨今ニュースを賑わすお布施の問題。そんな中、純粋にお坊さんのお話に感謝された方より心からのお手紙とお布施をいただいたのです。「いくらくらいお包みすればよろしいでしょうか?」と聞いたのではなく、その方の心から湧き出た「お気持ち」としての金額がそこにはあったのです。
それが、お坊さんに法事をしていただいてお布施をお渡しするという、既に慣習として受け入れられているところではなく、誰もお布施しようなんて頭によぎらないようなサイバー空間を介して行われたのです。
お寺でお坊さんに有り難いお話を聞き、あるいは法事や法要を執り行っていただき、お布施を渡す。お寺の中やご霊前だけで存在していた景色が、お寺の外、それもリアル世界を飛び越えて、インターネットを介しても見える景色になりえるのだと。
ここに、お寺の中だけに閉じられることのない、新しい社会の1つの在り方を垣間見ました。
幸せのありかた
この体験の少し前に、NHKスペシャル「黄金の仏塔 祈りの都~ミャンマー バガン遺跡~」を見ました。
そこに、仏教的価値観に基づいた、現代社会が考えるべき幸せな社会のありかたのヒントがあるような気がしています。
それを紹介して今回の記事を締めたいと思います。
ミャンマー初の統一王朝・バガン。
その都のあった場所には、見渡す限りの平原に3000もの仏塔や寺院が林立している。こうした仏塔や寺院の多くは、王や一部の権力者が建立したのではないという事実。何と、ごく普通の民衆が持てる財をなげうって築き上げていたという。
なぜ、そんな事ができたのか?
そして、彼らは何を求めようとしたのか?そこには、一部の人間に富が集中するのを防ぐ、驚きのシステムが存在した可能性が浮かび上がってきた・・・。
1000年も前に、格差の少ない社会を実現していた、知られざる“ユートピア”の姿
ミャンマーのバガン遺跡を中心に、功徳を通じ富が人々の間に巡らされ、幸せを分かち合う姿を描きました。番組のテーマとなったのは「功徳」です。しかし、取材当初はこの言葉に非常に面食らったものでした。・・・日本で生きる僕には心の底から理解できる感覚ではありませんでした。
そんな折、バガンの小学校で寄進を行う機会に恵まれました。
少しばかりのお金でしたが、受け取る先生たちの笑顔、感謝の言葉、なんとも清々しい気持ちになったのを覚えています。後日そのお金は机と椅子をそろえるために使われたと聞き、さらにその気持ちが増幅しました。
あぁ、ミャンマーの人々が口をそろえて功徳というのは、きっとこの気持ちを感じているからなのだ、そう思うと共に、バガン遺跡から見えてくる叡智はきっとこの感覚をヒントにすれば分かってくるのだ、と腑に落ちた瞬間でもありました。
日本に比べればまだまだ彼らの暮らしは裕福とは言えません。しかし人々の心の豊かさはどうでしょうか?
例えお金は無くとも彼らはいつも笑顔で心に余裕を持ち生きている、それがミャンマーの取材を通して感じた人々の印象です。今回の番組が少しでも多くの方に、幸せのあり方について考えて頂けるきっかけになれば幸いです。
Photo credit: Glenna Barlow via Visual hunt / CC BY-NC-ND
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